憧れという名の絶望

どうやったらハッピーになれるか?という話と似たような話というか、逆説的に端から見ててアンハッピーに成りがちだなと思う思考パターンとして「憧れ」というのがあると思う。
憧れといってもさまざまな憧れというのがあるけれど、誰かが出した結果をみて自分もああいう結果を出したいという憧れはたいていの場合挫折で終わる。それは冷静に考えるととても当たり前の話だと思うのだけれど。
「ある結果」というのは何かのタイミングでビッグバン的に急に出来たものでは無く、その人がただ努力したから出来たというものでもなくて、その人がたどってきた人生、生まれもっての境遇、その家の歴史とかそういった長い歴史の上の足跡みたいなものだと思う。
結果として形になっている物はそれ単体で拾い上げることが可能なので、まるでそれ単体で存在しているかのように錯覚してしまうけれど、それはまったく違ってどんな結果にも因果がある。定量的で誰にでも努力すれば手に入る結果もあるけれど、そもそも生まれもっての因果が必要なものならば手に入らないものもある。
結果が定量的でなく定性的で唯一無二なものであれば、結果を見て自分がそれをできるだけの資質を持っているか?と考えるのはナンセンスだと思う。それは顔で例えるとわかりやすいのだけど、自分は自分であってピカソでもマイケルジャクソンでも、ボードレールでもない。そしていくら憧れてもそれらになれることはない。
すでに作られた形、すでに達成されたもの。それをなぞることに何の意味があるのだろうか。 結果から逆引きして自分がそれを出来るのか、似たようなことが出来るのか?と殆ど勝ち目の無い戦いを挑む前に、自分はまず何を持っているのか、どんな資質があるのかを知り、どうしたらそれを生かせるのか?と考えるほうが建設的だなと思う。
人生は持っているもので戦うしかないのだから、無いものを夢想するのではなくて、持っているものをどう生かすか考えたほうがハッピーになれると思う。