変化のサイクルがもたらす輝き

自分は何をもって幸せと感じるのかについて同僚と話す機会があったのだけど、やっぱりこのお題って難しい。ちょっとまえにこのブログで人生のゲームバランス(極論だけど「程よい目標設定」)だと書いた気がするけど、当たり前だけどそれだけではなくて、「変化」ということが幸せを感じるためのひとつの大きな要素なのだと思う。
楽しい状態が続くと人間は麻痺してしまってそれが当たり前と思えてきてしまう。でも少年漫画のように次々と強い敵が現れてどんどん主人公は強くなっていくという右肩上がりのハッピーインフレも現実的には無理。と考えると(ゲームバランスが崩れるということも含めて)悪い状態もよい状態も知った上でよい状態を選択できる選択力が幸せにいたる道筋なのではないかなと。
さらに言えば、安定状態に入ったら敢えてカオス状態により戻すということも大事なんだろうと考えられる。
ジョン・C・リリーという人がアイソレーション・タンクによる人体と精神の隔離実験を行った結果、人間が外部からの入力を完全に絶った場合、精神の内面の世界が増幅され幻覚がみえてくるという報告があります。刺激がない状態が続くと現実と内的世界との区別がつかなくなって来るという事の実証だとおもうのですが、それは人間の精神は外的刺激によって構成されているとも言い換えられる。
外的刺激の変化が少ない状態というのは「退屈」なわけですが、上記の実験からもそのような状態だと自己境界がぼけてゆき、生きている実感が弱い精神状態になるであろう事が想像できます。
つまり人間は幸せな状態が続くと幸せと感じなくなってしまうけれど、それはたぶん人間である以上どうしようもない事、なのだと。
そう考えていくと、色々な事を経験すること、その上でベストと思える選択肢を選択すること・出来ること、そして安定したら敢えてカオス状態により戻してまた色々なことを経験すること、という変化のサイクルを持つことが大事なんだろうなと。またそれらを意識的にコントロールできている状態がよりよい状態のように思えます。
なんというか、程よいゲームバランスの良さは、クソゲーをやる事でさらに輝きを増すというような事。