目標と哲学
先日TVを見ていたら高校サッカーをやっていて、「目標を持つ事の大切さを教えたい」というような事を監督が言っているという解説をしてて、目標ということについて考えてしまった。具体的な目標を立てないと人間というのはついサボってしまって無為に過ごしてしまいがちだなぁと思うけれど、何の根拠もない目標自体にコミットできる人間はなかなかいないもので。
目標の前の段階として哲学があるんじゃないかなと最近よく思ったりする。どう生きたいかとか、何を是とするのかとか、自分発の哲学があってこそ目標があるわけで、哲学があるとないとでその目標に対する強度がまったく変わるのだと思う。
30を過ぎるとどういう生き方してきたかが顔や風体にでるなと最近良く感じるけれど、それは哲学を持っているか持っていないかなのかも、と思う。
そう考えると高校生が哲学を持ってサッカー出来るわけないしなぁとか。でもそういったおしきせの目標を達成する経験の中からも哲学って生まれてくるのかもしれないけれど…。(何の為にこんな練習するんだ?とかそういう経験って意味ね)