空気嫁は「他人の行動予測市場」?

2ちゃんねるが厄介な『空気』を追い払った」史観
http://blogs.itmedia.co.jp/serial/2006/08/2_f80e.html?ref=rssall
ised@glocom 日本の情報社会の特殊性を考える
http://ised.glocom.jp/ised/12091210
2chやブログの出現によって違和感の意見表明ができるようになったことで、メディアの権威が崩壊しつつあってよい事だ、とかちょっと前まで楽観的に考えていたのだけれど、ここの所の炎上や、kizasiを見ていたりするとわかる、瞬間的な盛り上がりに段々疑問を持ちつつあったり。なんというか論議っぽいスレの流れを見ていると大多数の皆が考えている事の予測市場みたいな感じというか。何か事故が起こったりしてそれの原因がどこにあるかというような事の予測であれば良いのだけれど、どう感じるかというような部分の議論の場合、空気という縛り中での落とし所の予測にしかならないのかなとか。
そんな事を最近ぼんやり考えて居たので、上記二つの記事はとても面白かった! 僕はこういう社会学的なとこに興味があってネットやってるんだよなぁと改めて思ったり。基本的な自分のスタンスとしては、空気はある程度わかるのだけれど、その空気感に嫌気が差すので、カウンターとしてわざとその場で違和感を表明してみたりとか。そんなんだからモテないんだけど。大人になろうぜーっていう・・・。まあでもカウンターカルチャーが存在すると皆自分の意見を表明しやすくなるというのもあるしなぁとかなんとか。