いってみれば上司はお客様

以前も少し書いた話だけど、自分の事を評価して欲しいとか、評価してもらえないとかっていう人が多いけれど、まず評価というものが何なのか考えてみると割と単純な話なのではないかとおもう。大抵あまり評価されていないと嘆く人は自分の尺度で評価されたかったり、自分ががんばった点を評価して欲しいという独りよがりな発想になっているけれど、評価は自分ではなく、周りだったり、上司だったり、会社だったり、お客さんだったり、エンドユーザーが評価するもので、決して自分が評価するものではない。
つまり自分のアウトプットするものが関連するひとそれぞれの評価軸で評価されるわけで。
評価されるということを承認欲求を満たす事と分割して考えて、給料のアップにどうつなげるか?という観点だけで捕らえて考えてみると、給料の査定に響くであろう関係者は全て自分にとっては、アウトプットに対する対価をいただくお客様と言い換えることが可能だと思う。そう考えると、如何にユーザーニーズを汲み取るか?先読みするか?が大事だということが普通に見えてくるはず。
上司といえどもある程度の規模であれば役員とかではなく、普通のサラリーマンだったりって事がほとんどなので、どうしたら出世できるかなぁとかどうしたら給料上がるかなぁとか、どうした楽できるかなぁとか、人によってニーズが違うけれど大体そんなようなことを考えていたりするので、それをどう助けてあげられるか?、また如何に自分に依存させて他社の参入障壁を高くしていくかって事にまあ普通になるわけで、、、。それが会社だったらどう売り上げを伸ばすか、コストをカットするか、どう継続するかになり、お客さんだったら担当者は自分の出世だったり、そのお客さんの売り上げがどうしたら上がるかだったり、エンドユーザーだったら素敵な体験をしたかったりとかとか。
まあそんなことをつらつら考えていくと大企業の社内政治ってそういうことなんだなぁってのがわかりますね。。。
・・・話がずれてるけど。まあ評価されたければ相手のニーズを汲み取ればいいのに、とよく思う、今日この頃。対象の人がどういう立場でどういう生活をしてて、何を望んでいて、でも何が課題で、どうしてもらえると嬉しかったり助かったり、その人の希望がかなったりするのかなぁと考えることだと思うのだけど。それは上司だから自分を助けてくれる人だとか、部下だから手足のように動いてくれて当たり前だとかそういうことでなく、何を望んでいてどうしたら動くのだろうかと想像してみることなのではないかと。すでに評価の話ではなくなってる気もするが。。
でもなかなか自我だったり既成観念が捨てられないんだろうなぁ。