助け舟の功罪?

会議のときなどに、ちょっと言葉足らずだったりその人独特の言い回しだったりして、言いたい事の意図が皆に伝わっていないなぁと感じる場面に良く出くわすのだけれど、そういう場合こうこうこういうことだよねぇと、わかってない人に自分が代わりに説明したりする事がある。意図が伝わってなくて、「何が言いたいの?」というような、ちょっと場の雰囲気が悪くなりかけたときなんかも、こういう背景で言ってるんだよね、とか助け舟をだしたり(正しく理解してもらえるよう補足をいれたり)とか。
それは会議を早く進行させたいし、皆の共通理解を早めてもっとその先の話をしたいからなのだけれど、最近ふとそれでよいのかなと思うこともあったり。というのは、自分が助け舟を出してしまう事によって、発言した人の「人に伝えるための訓練の場」を奪ってしまってはいないかなぁと。
先日上記のような場面で、「その話の主語はっ?!」と少しきつく突っ込まれている子がいて、自分には理解できてたし、後で補足で確認を入れようと思っていたのだけれど、先に突っ込まれて少し場の空気が悪くなったのだけれど、後日の会議でその突っ込まれた子は少し主語をきちんと言おうと努力しているのが見られたので、ああいう場合はむしろきつく突っ込んだ方が良いのかな、と。
目の前の会議を上手く進めるのは自分が色々介入すれば簡単な事なのだけれど、それだと依存型の組織になってしまって、組織の筋道から考えるとあまりよろしくない訳で。