映画:クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲

http://putikuri.way-nifty.com/blog/2006/10/post_2470.html
同僚がこのブログを読んで面白いらしいという話の流れで見てみた。良いシーンだと思う部分はあったけれど、「映画館で子供が引く位、親達が泣いたんだ、コレで」というのが素直な感想。多分コレもデンデケ同様にある層には強烈に受けるのかもしれないけれど、結婚もしてないし子供も居ない自分にはそれほど共感するポイントはなかったかな。

 埼玉県・春日部の街に作られた大テーマパーク「20世紀博」に、大人たちはハマりっぱなし。週末ごとに訪れては、怪獣ごっこ魔法少女ごっこのアトラクションに夢中。いつの間にか街全体もノスタルジックなものが流行りはじめる。
 と、ある朝突然、大人たちは全員、子供を放り出して20世紀博に行ってしまう。どうやら誰かに操られているらしい。
 大人達を連れ戻すため、悪者たちと戦いを始めるしんちゃんたちの運命はいかに!?
岡田斗司夫プチクリ日記より引用

内容はこんな感じ。作った人たちの意図は、子供達が観たいと言うので、しょうがねぇなぁ、かったるいなぁと思いつつ映画館に来た親達に不意をついたアッパーカットを喰らわす、という物なんじゃないかなぁと。ちょっとうがった見方かもしれないけれど・・・。
ヒロシの回想シーンでは、ノスタルジーではなく子供のころの自由に遊びまわっていた時代から、段々社会に参加していって自分の自由がなくなって行く過程が描かれているように思ったのだけれど(その分家族が居たり、社会的地位があったりはするのだが)、これはちょうど映画に来た親達の境遇そのもので、何で俺こんな事してるんだろうとか、人生コレでよかったのかなぁ、もっと遊びたかったかもというような迷いの部分を不意打ちして、間違ってはいないと思うし、現状を否定はしないけど、自由は失ったよなぁという感傷を誘っているような気が。
自分の人生を自分で選択してきたのではなくて、周りの空気だったり、たぶんこうするのが普通だよねとか、環境に流されてきている人たちへのメッセージなんではないのかなとか。ま、結婚もしていない人間が偉そうな事はいえないのだけれど。
自分の場合過去の方が良かったなとか楽しかったなぁと思うことはほとんど無くて(勿論あの時最高に楽しかったなという思い出はあるけれど)、常にこの先、自分が求めている姿に近づくにはどうしたら良いのかと考えて、その方向に向かって努力している状態が好きだし、そうして得てきた事によってより自由な状態にどんどんなっているので、子供のころのような不自由な状態、(たとえばこの感動した気持ちを曲にしたいと思ったときにすぐできるか?といったら今だったある程度のものはすぐ出来るけれど、昔はひたすらやきもきしていた)に戻りたくは無い。ひとつ技術を身につけるという事は、心がひとつ自由になる事だと思う。
人と話をしていて学生の頃は良かったなぁ、あの頃に戻りたいという話になる事があるけれど、正直自分はあの頃には戻りたくないんだよね。また振り出しに戻るのかよ、と。
そう思ってるからオトナ帝国は響かなかったのだろうけれど、学生に戻りたいなぁと思ってる人には泣ける映画なんだろう。映画の中ではコレといった結論は用意されていないから救いはないように思ったのだが・・・。

と、思ったけど、この見方は非常に狭くて、もしかしたら子育ての瞬間的な大変さにめげそうになった親達へのねぎらいと、がんばろうよってメッセージなのかもなぁ。コレばっかりは結婚してみて子育てしてみないとわからないなぁ。