空気読むってなんだろ・・・

いまいち考えがまとまらないのだけれど、空気ってなんなんだという事がここのところモヤモヤと自分の中に渦巻いていたり。
空気読めない人・痛い人
http://guideline.livedoor.biz/archives/50710674.html
ここ読んでいて思ったのは、社会で生きていく上で協調性というのは大事だけれど、協調性が行き過ぎると多数派の意見に文句を言わずに従属する事になるのかなぁと。空気を読め、空気を嫁とみんながココまで連呼するのも不思議な感じがする。
皆が、その場の空気を悪くしないように自分の行動を制限する事が美徳とされているのは、このスレだけに限らず随分昔からそんな気がするのだけれど、程度の差こそ有れ違和感を表明すれば場の空気は変わる(悪く)なるのは仕方が無い事だし、そうしない限り「これはOK」という空気が出来上がってしまう。
違和感の表明をすると痛い人、空気が読めない人となってしまうのだけど、その集団が向かっている方向に対してコミットできない人はついていく必要はないし、痛いって発想はそもそもその集団にコミットしている側の言い分でしかない。そのようないざこざが有って集団に残る人、去っていく人がいるのだから、あまり問題になる事でない(絶対にその集団に居なければいけない訳ではない)ような気がするのだけれど、あえて「空気が読めない」と言う事がこれだけクローズアップされるという事はもう少し他に問題の原因があるような気がする。 ・・・が、空気の定義があいまいすぎるので考えがまとまらない。なんか価値観の統一というのが見え隠れする気がするんだよなぁ。多様性の否定というか。
とりあえず雰囲気だけで書くと、空気読みすぎると少数派や反対意見が弾圧されて、色々な可能性の選択の機会を失うような気がする。まずは一回色々な意見、考え方を並べて、どのような理由でそれを選択したか、誰が決定したかの意思決定プロセスをはっきりした方が良いと思うのだけれど。
これだと硬すぎるのか・・・。でもどこまで妥協するのかという事なんだろうけれど、迎合しすぎず、我を通しすぎず、バランスをみて自分が一番ハッピーな比重を探るという事なのかな。結局のところ人生全体を通してその人がハッピーだったら何でもいいわけだし、自己中で困るのは結局自分だから悪いわけで。
もっと自分を大事にしよう、そのための環境作りでしょ、と。